無心ということ

京都は大徳寺、大仙院で座禅を組む。頭の中を空っぽにと和尚に言われるもすぐに邪念が入り込む。座禅が終わってお茶を出してもらい和尚から「そんなすぐ出来るかっ!」と言われた。何故頭を空っぽにするのか。和尚は「余計なこと考えるから何も出来なくなる。無心になれば何でも出来る。火事場の馬鹿力ってやつは無我夢中、いわゆる無心だからできるのさ」と。
今日、そんな言葉を思い出していた。仕事では立場や役職でやることを制限している気がする。否、実際そんなことは自分のやることではないとか何で俺がそんな雑用しなきゃいけないのとか。
何でもハイハイ言っていると嘗められるとか考えてしまう。
やるべきことは何なのか。こだわるところを間違えてるのではないだろうか。
そんなことを思いながら「無心になる」ということを考えていた・・・