理解するということ

正解を知ることと理解することは全く別物。至極当然の事ながらわかったつもりでいることが多い。
物事の上辺だけを見ていてはなかなかその本質を知るに至らない。

「二人いる、一人は濡れぬ時雨かな」

禅の公案。何故一人だけ濡れないのか、ヒントは「一人」にこだわるなということらしい。公案はある時フッと理解できるときがある。しかしこの公案はこの数年考え続けてもなかなか理解できない。ある禅の本に解答が載っており正解を読んだが理解に至らない。
この公案の言わんとすることも文字の上での理解と本質の理解は違うと言うことらしい。
何事においてもその「本質」にいかに近づく事ができるかが重要である。どうしても目立つところに目がいってしまい、上辺で考えてしまうから。
夕焼けを見ていてふとそんなことを思った。この公案、もうしばらく悩むことになるだろう・・・